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相手を思いやる心

先日の「宝仙の歴史」の授業には、本学同窓会の幹事をされている立花雅子さんにゲストとして参加していただきました。立花先生は、本学の実習指導を担当されています。

先生には、保育者をめざされた動機や、短大時代のご経験、本学の教育の特徴、それに現在の保育の現場、保育者に必要な心構えなどについて、お話いただきました。 この立花先生のお話の内容を、1年生はどう受けとめたでしょうか。学生たちのコメントを、紹介いたします。



ちょうど、これからお隣にある宝仙幼稚園で体験学習がはじまるころだったので、1年生には現場に出ることの不安もすこしあったようです。そうした気持のありようが、学生たちのコメントに映し出されているように思います。


このコメントを読んでいて気がついたのは、幼稚園などに実習に出るときの心がけと、式典に出るときの心がけとが、どこかで通じあっているところです。


本学では年に4回、仏教式典があります。学生たちはそのたびに、スーツを着用し、遅刻をしないよう心がけ、私語を慎み、言葉遣いを改めるよう注意されます。

これまで西洋史を研究してきた私には、儀式や式典というと、王様が式典の場で、病気に苦しむ人びとに触ることで、病気を直すという「王の奇跡」がすぐに思いだされます。王様は、キリスト教の聖者にならうことで、王権が神から授かった聖なるものであることを演出し、式典を権力の神聖化のために利用しようとした、というものです。 ところが本学での式典に参加してみると、式典のもうひとつ別の側面がみえてきました。それは式典に参加する側からの視点です。式典に参加することで、日常生活と非日常的な場を切り換え、オンとオフを経験するのです。しかし、それだけではありません。式典に参加することは、その場にふさわしい立ち居振る舞いを経験し、社会のルールを身につけていくプロセスでもあるのです。社会のルールというと、上から一方的に押しつけられてくるように思われがちですが、その底には今回の立花先生のお話と学生たちのコメントからうかがえるように、なによりも相手のことを思いやる心があるような気がします。

スーツを着用するということは、自分を飾り、恰好よくみせることというよりも、相手を思いやり、敬意を表すということかもしれません。

130718学長だより(131717学長基礎ゼミ調理実習にて)

(2013年7月17日、1年生の基礎ゼミ 昼食調理実習に招待されて)

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