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両大師祭が行われました

朝から雲が深く垂れ込め、かすかな霧雨に濡れるあいにくのお天気となりましたが、1年生と2年生が宝仙寺本堂に集まり、仏教行事である「両大師祭」を執り行いました。

両大師祭は、弘法大師(空海上人)と興教大師(覚鑁上人)の二人のお大師様の誕生日が近い(6月15日と6月17日)ため、共にお祝いする法要です。春を過ぎ、新緑が茂る初夏の法要であることから、「青葉祭り」とも呼ばれています。

両大師の大きな御軸が掛けられた本堂では、ご法楽に続いて、宝仙学園理事長、冨田道生先生によるご法話がありました。

弘法大師は、774年に香川県でお生まれになり、奈良、京都での学問に満足せず、遣唐使の一員として唐に渡って密教を学び、日本で真言宗を開きました。そして、密教の教えだけでなく、他にも当時の最新文化が、弘法大師によって唐から伝えられました。土木・灌がい技術や地質学の知識を活かして貯水池(満濃池)を造られたことは有名ですし、弘法大師が発見したとされる「弘法の湯」が全国にあります。また、『三教指帰』という比較宗教論の書物を24歳のときに著すほどの天才でした。こうした学問を学ぶために、「綜芸種智院」(日本で最初の私立学校)を弘法大師が建てられたことは、宝仙学園の創立にもつながっています。

弘法大師は、和歌山県の高峰である高野山に修行にふさわしい土地を見つけられ、そこを拠点とされました。ご入定(瞑想)された高野山奥の院では、今でもそのまま生きていると信じられており、毎朝食事が運ばれ、毎年一回衣替えをしているとのことです。近年、四国八十八ヶ所のお遍路さんが盛んですが、このように今もいらっしゃるお大師様と一緒に巡礼しているという意味で、笠などに「同行二人」という言葉が書かれています。ちなみに、東京には「御府内八十八ヶ所」というお遍路コースがあり、宝仙寺は第十二番の札所となっています。

一方、それから約300年後、現在の佐賀県でお生まれになった興教大師は9歳で出家して、後に京都の仁和寺で真言宗を学びました。時代は貴族社会から武家社会に移り、末法思想と浄土教が普及する激動の社会のなかで、興教大師は真言宗の教義を見直し、新たに教えを確立されました。本学の創立者は、興教大師と干支が同じであるためか、縁を感じて深く研究なさいました。

160607両大師祭

160607両大師祭

160607両大師祭

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